家の前が池になつてゐた。
職場にて
東京法務局へお使ひに行く。
和本を手にとってみることの意義は、たんに古い書物に触れるというだけでなく、そこに原初的ともいうべき「本の魂」が息づいていて、それが今日まで生き続けていることを実感することにある。和本を知ることは現代の本を知ることにも通じ、ひいては「本とは何か」という原点にまでさかのぼって考える格好の材料になるのである。
これまで、どうしても専門の研究者や特殊なコレクターの世界になりがちだった和本を、より広く、深く知っていただきたい。本書はそういう「知」のためのささやかなガイドブックをめざしている。
堅苦しくなく、より親しみの持てるものとして書かれてゐるのがよかつた。たゞ、だからといつてこれを讀んでも、私と和本の間にはまだまだ隔たりがあるやうに感ぜられる。
慥かにこの本は、和本の最良の入門書ではあるが、それと同時に結局は、専門の研究者や特殊なコレクターの世界
への入門書となつて了ふのが私には物足りなく思つた。
こゝでは和本の定義を、有史以来、明治の初め頃までに日本で書かれたか、印刷された書物の総称
としてゐる以上、和本を扱ふ爲には、明治以前の歴史的、書誌學的な内容に觸れざるを得ないし、その他の豫備知識なしでは*1、結局何うにも手も足もでない。
現在に於いて和本と云ふの物の、もつと違つた可能性なり、全く別の在り方と云ふのがあつてもいゝのではないかと私は思つてゐる。
俳人のためのやまとことばの散歩道―芭蕉は仮名俳号をなぜ“はせを”と書いたのか
*1:先づ私は行草を讀む事から始めなければならない。