生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

二册讀了

Diane Arbus風に


だれが「音楽」を殺すのか? (NT2X)

だれが「音楽」を殺すのか? (NT2X)

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

續けて讀んだ御蔭で、音樂を巡る現在の状況を、より鮮明に見通すことが出來た。
前者があくまで、音樂「業界」だつたり、文化「産業」の問題點を浮き彫りにしてゐるとすれば、後者は更に、音樂とテクノロジーとの關りに於いて、そも「音樂」とは何かを新たに問うてゐる*1。しかも、音楽について語るために、われわれのリアリティに沿う言葉をみつけることを第一の目的にしていると云ふ點が、とても興味深い。音樂は鳴つてゐる。しかし言葉はまだ見出せない*2

尤も茲で、リアリティに沿ふ言葉が解答やキャッチコピーのやうに提示されてゐる訣ではなく*3、分析や攷察によつて、その道筋のやうなものを指し示さうとしてゐる。それだけでも充分な内容だと思ふ。

五章の最後では多彩な演奏があると全くおなじように、多彩な聴取が存在することと云ふ風にしめてゐる。若し、舊來の「音を出す(演奏する)」側が、例へばこの本を目にして、多種多樣な聽取と云ふものを意識するとしたら、どのやうなアプローチを取つてゆくものだらう。さういふのを讀んでみたいと思つた*4

餘談

p.51脚注6の、「1976年」は恐らく1876年かと。

*1:しかし「音樂とは何か」と問ふことは、そんな氣恥づかしいことなのだらうか。

*2:たゞ今の私が求めてゐるのは、果たして言葉なのか、それとも音樂なのか。

*3:と私は讀んだんだけれど

*4:若しかしたら『憂鬱と官能を教えた学校』がそれに當るのかもしれない。