生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

最近讀んだ物

本文の假名が妙に癖のある書體*1で、讀んでゐて落着かなかつた。編輯者はどう云ふ積りでこの書體にしたのか、意圖が氣になる。

あと、こゝで取上げてゐる樂曲なりミュージシャンを、私は全く知らなかつた。

116ページに誤植が、114ページに文章を入れ間違へてゐる所がある。
二刷ではちやんと修正されてゐた。

ここで紹介されてゐるアーティスト達を、私はどれも全く聽いてゐないが、村上春樹の文章を讀んでゐると、とても魅力的な音樂だと感じさせて呉れる。直ぐにも聽かずには居られないといつた思ひにかられる。

この種の喚起力を持つ(音樂の)文章の書き手はなかなか居ない*2

それからJポップに關して言及してゐるのはちよつと意外だつた。

日本のポップスを聴いていると、その歌詞の内容や「文体」にげんなりしてしまって、そのせいで音楽自体を投げ出してしまうケースがかなり多い。


僕はいわゆるJポップの歌詞とか、連続テレビ・ドラマの台詞とか、朝日・読売をはじめとする全国紙の記事文体なんかは、一種の「制度言語」だと常日頃認識している。


それらはあくまで関係者間の取り決め、了解によって成立している一つの制度であって、制度という軸との相関関係によってしか批評できないもの、批評のしようがないものである。自立したテキストとして批評することは不可能に近い。


マーケットの規模はマスだけれど、にもかかわらず質的にはローカルであるという、不思議にねじれた世界だ。

この見方は近田春夫と近いものがある。

*1:游築36ポ仮名だらうか。

*2:あと私なら中山康樹を擧げてみたい。