生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

幾つかの補足

立ち話だつたこともあり、私の言葉が足らない處や、飛躍して語つて了つたところが多々あつたりするので、こゝで幾つか言葉を補ひます。

OpenTypeの異体字機能、TeXで呼び出して扱えるのですね

TeXにはotfパッケージと云ふのがあり、要はそれを用ゐて異體字や舊字を呼び出して扱つてゐます。でそういう仕組みがあるんですかに對する答へとしては、このotfパッケージに就いて説明をするべきでした。

私が作つたのは、このotfパッケージを利用した、元のテキストから變換したい漢字だけを置き換へるマクロ*1のことでした。

氏の恐るべき三段論法

  • 結論:活字には手を出してないんです。

結論は慥かにさうなのですが、前提のところは私の説明不足でした。

  • 小前提:(なぜなら)あったら使わなくちゃいけないじゃないですか。

道具と云ふのは、使はれる事に意義があると思つてゐますので、自分が扱はない道具を徒に死藏して了ふことに對して、どこか後ろめたさがあるみたいです。

もし一通り活字が持てるのならば、本一册組むくらゐの事はやらないと氣がすまない(それはそれでかなり極端ですが)。たゞ個人で活字を用ゐて文字を組むことが、現状では非常に難しいでせうし、しかもそれを正字(昔の明朝體活字の字體)で組まなければならないとすれば、先づ不可能でせう。

さういふこともあつて活字(と寫植)は專ら見るだけに徹してゐます。

  • 大前提:(なぜなら)使えない/使わない道具には興味はないんです

必ずしも使へない/使はない道具に對し、興味をもたないと云ふことはなく、それなりに興味だけはあつたりします。つまり、「自分がそれらの道具をどのやうに使ふ」かといつた觀點での興味は抱きませんが、道具それ自體の興味は持つことがあるかと思ひます。