生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

三冊讀了

生命学をひらく 自分と向きあう「いのち」の思想

生命学をひらく 自分と向きあう「いのち」の思想

父が子に語る日本史

父が子に語る日本史

歴史は六かしい。殊に日本に於いては。

さて、その僕がこんな本を書いてしまうと、たぶん、いろんな人から批判されるだろうと思います。

「日本史」の専門家ではない、それどころか、「歴史学」の研究者ですらない人間が、日本の歴史を教科書とはちがう枠組みで語るなどというのは、実は傲岸不遜なことなのです。良心的な専門家であればあるほど、僕のように大胆にまとめることには慎重だし、こういうやり方に対して不信感を抱くだろうと思います。

でもあえてこんな本を書いたのは、やはりこれが必要だと強く感じるからです。たとえば司馬遼太郎のような歴史小説家のほうが、歴史学者よりも多くの読者を獲得し強い影響力を持っているという事態に対して、僕は大変な危機感を持っています。専門の研究者たちが、そうした小説家の歴史理解や叙述のしかたを仲間内では厳しく批判しながら、では一般の人びとに、それに代わる歴史像を提示し得ているかというと、決してそうではありません。専門的研究の現場と、一般社会における理解の水準とのあいだに、とてつもなく大きな隔たりが生じてしまっているのです。

自分たちの暮らすこの社会が、何百年という時間の積み重ねの結果としてこうあるということの、その経緯について、最新の専門的研究をふまえた説明がきちんとなされることが必要です。近代国家において、その構成員がきちんと歴史を知らない場合、その国は危険な方向に向かって走り出す懼れがあります。

日本に古代はあったのか (角川選書)

日本に古代はあったのか (角川選書)

うーん。