聞いていないCDが多いな。
勉強になった。著者は民族学博の館長だったのか。
藝十夜の副読本、成る程と思ひつつもやはり六かしい。広すぎる劇場の問題はいづこも同じようだ。
藝の世界は生きている人間にとってどうにもしんどい事が多すぎるやうに感ずる。しかしこれは、藝が生きている人間ためではなく、死んでいる人や神様相手のものだからというのがおぼろげながらこちらにも分かってきた。
立て続けに五味康祐を読む。なんという文章の力。言いたいこと思うことは幾らでもあるが、それでも読まずにはいられない。
あと、同じように芸術新潮に連載し、私語りを通して藝術を語っていた書き手として洲之内徹も連想した。
最近九月なかばくらいから、ベエトオヴェンばかり聞いてゐる。第九ですらまともに通して聞いたことがなかったのに、生まれてはじめて交響曲を全曲通しで聞いている。そうなると交響曲のトピックにも関心がでてくる。
遲まきながら、今年はベートーヴェンの生誕二百五十年だといふ事を知る。そしてこれは生誕二百年の時に連載を注文されて描き始めたという五十年前に書かれた文章だ。今更ながら文章の古びていないことに驚く。
そして晩年のベエトオヴェンの作品がやはり肝だというのが分かってきたので、最近そればかり集中して聴いている。