生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

フルクサス展@うらわ美術館

うらわ美術館へ「フルクサス展−芸術から日常へ」を觀に行く。私がフルクサスの名を意識したのは、昔讀んだ『実験音楽―ケージとその後』で奇妙なコンポジションの數々を目にしてゐたので、印象に殘つてゐたからだつた。

コンサート

けふはフルクサス再演《コンサート》が行はれてゐて、「觀客の爲のカードミュージック」を見學した。解説を引用する。

10人のパフォーマーが、1から10の数字が大きく書かれている大きなカードを運んでくる。彼らは観客に向かい合ってステージに立つ。カードを持ったパフォーマーは、腕を下ろしているときは、何も書かれていないカードの裏側を見せ、腕を上げ、カードを頭上に持ち上げたときに、数字が観客に見えるようにする。 指揮者は、観客全員に1から10の数字の中から1つだけを選んでもらう。指揮者は、観客全員に一つの音を考えてもらう。指揮者は、観客全員に席から立ったままで演じることが出来るアクションについて考えてもらう。

作品が単純な一対(on/off)のプロセスであることが、説明される。つまり、自分が選んだ数字がステージ上に表示されたら、その観客は立ち上がり、自分が考えた音を出し、アクションを行う。これは数字が表示されている間はずっと続けられる。数字が表示されなくなったら、観客は自分の席に座り、静かにしている。 指揮者は、パフォーマーが異なるタイミング、組み合わせ、順序で数字を表示するように指揮する。 観客は音とアクションで、数字に従って作品を演じる。

カードを上げ下げする度に、あちこちでそれぞれが手を叩いたり、床を踏み鳴らし、聲をあげ、紙を千切つてはばらまいたりと、實にいかれた修羅場の樣なとでも云ふか、賑やかな祝祭的空間が眼前で繰り廣げられてゐた*1。さらに會場で觀客とパフォーマーが記念撮影をするが、それもまたパフォーマンス(リモート・フォトと呼んでゐた)として行はれたのは流石だと感心した。

フィルム

會場の一角にあるシアターでDVDを鑑賞する。『SOME FLUXUS』とナム・ジュン・パイクジョン・ケージに捧ぐ』 を見る。

前者は、ジョージ・マチューナスのインタビューと、フルクサスのコンサートの模樣が收録されてゐる。初めて見た演奏風景は、本や解説から思ひ描いてゐたのとは可成り違ふのでびつくり。それはパフォーマンスと云ふより、一發藝やコント*2紙一重のものだつた。モンティ・パイソンを見てるみたい。
ジョークとしての芸術と云ふお題目はたしかに伊達ではない。フルクサスギャク百連發といつたノリのパフォーマンスだつた。

後者で、「四分三十三秒」をケージが演奏してゐるシーンを見る。ストリートにピアノを持ち込んで表で演奏してゐた。ピアノの前で椅子に坐つたまゝ、時々時計を見ては蓋を開け閉めする。

それから、ケージに關聯した映像だけではなく、風變りな映像も合間に色々使はれてゐる。突然のペプシのCMには度膽を拔かれたことをこゝに記しておく。

歸る頃には雪がちらほらと降り始める。

*1:ジョン・ゾーンの「コブラ」はこれを發展させたものか。

*2:それも、實に最良の、私好みの笑ひだ。