生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

二册讀了

音の静寂 静寂の音

音の静寂 静寂の音

これは詩なのか。批評なのか。
論文のやうでもあり、獨り言でも、深遠な哲學のやうでもあり。
音樂に就てではなく、音樂とは(それを演奏するとは)何か、に就て語る。

東京に暮らしていて 音楽を語ることはない

こんなにたくさんの音楽家がいて

音楽することに何の意味があるのか

だれも知らない

それとも言いたくないのか

でも普通、音樂家が、音樂とは何か、と問ふことはないのではないか。

音楽がよく聞こえるように音楽専用のホールを建てるというのも、考えてみればおかしな話ではないか。そのために特別な場所を要求する音楽とはいったい何なのか。生きるためにはさまざまの場面で音楽を必要とすることもあるだろう。だが、音楽も聴かれるためには聴く人間を必要としていて、聴く人びとをコンサートホールに呼びだしている。何の権利があって人びとを自分の場所に呼びつけて入場料を取って音楽を聴かせることができるのか、だれか説明してくれないか。普通だれかに話したいなら自分で出かけていくだろう。相手に来てもらうなら心をこめてもてなさなければならない。拝観料を取って託宣をあたえるのは神のしごとではないだろうか。いつから音楽は神のようなものになったのか。

こんなことを音樂家は、いや音樂家でなくとも、先づ考へもしないのではないか。茲で問はれてゐるのは一體何なのか。

いとしこいし 漫才の世界

いとしこいし 漫才の世界

これは面白い。本の半分を占めるいとし・こいし名作選は聲に出して讀まなくてはいけないとのこと。臺本そのものからではなく、口演の聞き取りに近いものなので、實に讀み易く、活き活きとしたリズムを感じさせた。

試しに小聲で讀んでみたが、どうしても途中で吹出して了ふのでうまくゆかなかつた。