生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

偽悪的

頃日、或るサイトにて、敢て僞惡的に書き綴つたと云ふ文章を讀んだ。書かれた内容は兎も角として、疑問に思つたことがある。
まづ何より、「偽悪」と云ふ言葉がよく分らない。惡を僞るつて何だ。調べてみたら*1、僞善に對して造られた造語だつた。道理で坐りが惡い訣だ。

それともう一つ。これは僞惡的と稱する文章に見られる傾向なのか、それともたまたま私の接した文章のみの問題なのか判別しづらいのだが、その書かれてゐる文章が、僞惡と云ふよりは寧ろ、露惡的と呼ぶ方が妥當ではないかと感じた。

僞惡を貫くことと、露惡的であることは、實は全く關係のないことではなからうか。何故かその兩者が、混同されてゐるやうな傾向があるのではないかとも思ふ。