生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

以前何處かで目にした文章

例へば、普段の日常の光景なり動作をドラマ等で演じられてゐるのを觀ると、芝居がかつた演技が鼻に附くのか、妙に気恥ずかしく、また坐り心地の惡い思ひをする事がある。

しかし、これが、ある定型のある劇なりお芝居だと違つてくる。どのやうな演技であれ、それがお芝居であると云ふ安心感によつて、極自然に物語の中に這入る事が出來る。役者の演技も、寧ろ大仰に、くどい程芝居がかつたとしても、其れ故に、舞臺で行はれてゐる劇に引き込まれるのだつた。

そんな趣旨の話を何處かで目にしたのだが、失念して了つた。