生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

松原正東京講演會

西早稻田の日本キリスト教會館にて。松原先生は齒の具合が惡く、隨分と話しづらさうだつた。
漱石の『こゝろ』が失敗作であると云ふお話を聞く。漱石だけでなく、時にモーリャックやフローベールを織り交ぜながら話を進めてゐた。失敗作である所以を聞いて成程とは思ふが、話を聽きながら私はてんで別の事を考へてゐた。端的に云ふと小説とは何かと云ふ事になるのだらうか。

或る作品にとつて、失敗だとか成功といつた評價が作品自體にとつてどのやうな意味合ひを持つのか、また斯如き失敗作であるものが、何故日本に於いて多數の讀者を得て評價されてゐるのか*1等々。後で同じやうな質問が聽講者からも擧げられてゐた。

矢張り私にとつては、小説の出來不出來といつた事よりも、小説が元來どのやうなものであり、また小説がどのやうに(殊に日本に於て)受容され、讀まれていつたのかと云ふ事が氣になるみたい。

あと榎本ナリコの『こゝろ』だつたらどう言ふだらうと思つた。

*1:漱石では、一番讀まれてゐるのが『坊つちゃん』で、それに次いで『こゝろ』であると云ふ。