生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

文字講座

日曜に東洋美術学校にて聽講。

原康史「日本語のデザイン、その後」

永原さんの『日本語のデザイン (新デザインガイド)』には可成り觸發されたので、今囘の演題に「その後」とあるのならば、きつとその後の、何らかの進展や發見が垣間見られるのかもしれないと期待してゐた。

實際は「日本語のデザイン」のおさらひみたいな内容であつた。「その後」と云ふ爲には、先づ日本語のデザインがどのやうなものであつたかを予備知識として持ち合せてゐないといけないので、勢ひ説明が長くなる。しかもそれは一時間半ではとても語れる内容ではないので、どうしても、抽象的な事柄を駈け足で語らざるを得ない。

次の春田さんの話とも通ずるのだが、國字國語問題とはまた異なつた、言はば活版印刷文化に對するアンチテーゼとしての日本語表記の問題が、最近私の中で持ちあがつてきてゐる。さういつた日本語組版に就ての問題意識を持ち合せてゐないと、今日のお話の意圖するものが掴みづらいやうに感ぜられた。

話の中で耳に殘つた云ふフレーズで

  • 技術が表現を規定する
  • 組版はプログラミングである

といつた事はもつとよく考へてみたい。

最後にOpenType Fontの字體切り替への機能を取上げてゐた。前後の文脈によつてフレキシブルに文字が變化する技術はもう可能になつてゐる。後はフォントだけなのだが。

春田ゆかり「書から活字へ 書家 池原香穉をおって」

春田さんのお話は、平假名の歴史や、長崎の池原香穉に纏はる事蹟*1を紹介してゐた。平假名の書體の成り立ちやコンセプト*2に就いてもつと聞いてみたかつた。
印象に殘つたこと。

  • 春田さんは變體假名ではなく、ひらがな異體字と云ふ風に呼んでゐた。
  • 變體假名が遣はれる際、複數の字體を持つ同一の發音の假名が文章の近くに幾つか有る時、それぞれ別の字體の變體假名を用ゐるとのこと*3

*1:長崎諏訪神社の石碑や諏訪の杜文学館にある活字の資料など

*2:例へば千都フォント|連載#2「四角のなかに押し込めること」參照

*3:變字法と云ふらしい