生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

彈壓

小林秀雄三木清の對談(昭和十六年)から。

小林
例えば弾圧ということを言う。どうしてそんなことを考えて、自分が十五年先に死ぬということを考えないのだ。十五年先に死ぬということは大弾圧でないか。そんな大弾圧が必ず十五年先に来るのを知らないで、政府が何を弾圧したということの刺戟で何かの思想が起っているのだよ。まあ言ってみれば、そういう風な思想の浅薄な起り方、それがいやだね。現代の思想は、一たん石器時代に戻って、又そこから出直す必要があるとさえ言いたいくらいだよ。
三木
ある人がいて、弾圧されるかも知れないと考えるだろう。その場合に、これ一つ書いておけば弾圧されてもいいと思って書くか、或はまだまだ弾圧されないかも知れないというような気持が底にあって書くか、その点だね。弾圧されるということを、本当に身近かに感じておれば、これ一つしか書けないと命懸けでものを書く。そういう気持になって来れば日本の文化も立派になるというのだろう。
小林
文学者や思想家が政治的関心を持つことは結構だが、関心を持つと考え方まで政治的になるということは馬鹿々々しい。政治家が差当り大切な事だけを考えるのはよいが思想家が、凡そ思想上の問題で差当り大切なものは何かなぞと考えるのは止めたがよい。話がお目出度くなって、議論がこんがらかる以外に何の益も断じてない。

実験的精神