生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

最近讀んだもの(五册讀了)

哲学的な何か、あと科学とか

哲学的な何か、あと科学とか

オンラインのコンテンツを基にして書籍化する時、版面のデザインとか、組版のコンセプトとかどうやつて決めたのかが、何となく氣になる。この本だと意圖がよく掴めなかつた。
字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

單に飜譯に纏はることだけでなく、日本語の文字表記に關する、ありとあらゆる問題に常に直面してゐるのではないか。擽りの多い小氣味好い文章で書かれてゐるが、扱つてゐる題材は、決して輕いものではない。著者の本意には反するかもしれないが、讀み進む内、とても笑ふどころではなくなつてきた*1

でも矢張りこの本は魅力的で、それはに、著者の言葉に對する、柔軟かつ健全な姿勢に、私はうたれた。

西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

氣に入つたフレーズ。

ここで天才とは、並外れて頭がいいというようなことではなくて、むしろ逆に、普通の人が即座に(あるいは最初から)分ってしまうことがなぜかどうしても分らず、しかも信じがたいほどあきらめが悪く、執拗にその理路を問い続ける一種の化け物のことである。だから、凡人とはこの場合、ときには並外れて頭がよく、普通の人がなかなか分らないようなことでも即座に理解してしまうような才人のことである。こう規定するなら、西田幾多郎が大天才(超弩級の哲学的な化け物)であったことは疑う余地がない。

この〈シリーズ・哲学のエッセンス〉つて誰が企劃・編輯してゐるのだらう。隨分大膽であると常々思ふ。

ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン

ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン

讀みたい讀みたいと思つてゐたらこの間二刷が出てゐた。とても刺激的な内容だつた。組版つて奧が深い。
本文はヒラギノ(W3)と游築五号仮名(W3)。
重力のデザイン―本から写真へ

重力のデザイン―本から写真へ

『ページと力』よりも更に挑撥的な版面だ。たゞ凝つてゐると云ふのではなく、何等かの意思があることは感ずる。組版の話だけでなく、寫眞の批評もよかつた。

本文はFOT-筑紫明朝とFOT-筑紫ゴシック。Proを使つてゐるのなら、印刷標準字體にも氣を遣つて欲しかつた(あと「真逆」なんて使つてゐるし)。DTPだと無視される傾向にあるのだらうか。これだけ物が見える人でも、漢字や語彙への意識は、全く別の事になつて了ふのだらうか。

*1:寧ろ笑ふしかない状況でもある、とも云へるのだけれど。