生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

切替へ

周圍の人間が皆「現代仮名遣」を使つてゐる中で、一人だけ正假名遣を使つてゐる事を考へてみる。その人は、正かなの文章を書く時と、「現代仮名遣」の文献を讀む時とで、態度を切替へてゐる。さう云ふ「切替へ」が生ずる時、その人の生き方として「正かな」はどのやうな位置にあると言へるのだらうか。

この文を讀む前に、私は別の文脈でだが(若し、正假名遣ひの傳統が斷絶してゐるのならば)現代假名遣ひを遣ふ事が、果たして出來るのだらうかと云ふ風な事を呟いた。かうして改めて問はれてみて、猛烈に考へてみたくなつた。

正假名遣ひと現代假名遣ひを用ゐる時の關係や違ひ、「切替へ」と云ふのが凄く氣になる。茲でなく河岸を變へて取り掛かつてみたい。