生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

百年前の音を探し、甦らせ、聴く

日本女子大學の公開シンポジウム『百年前の音を探し、甦らせ、聴く』を見學する。午後のプログラムから見に行つた。

携帶型鑞管再生裝置デモンストレーション

鑞管や、再生裝置の原理等が詳しく解説されてゐた。非接觸のレーザーによる方式で開發された最新の再生機の話を聞く。まだレーザーよりも、觸針式の方が音質は勝るとの事。

別室で実物を見た。

これがプロトタイプ。旅行用のトランク竝の大きさだ。重さも20 kgはある。


改良してアタッシュケース位のサイズになつた。重さも5 kgと輕量化。


昔ながらの鑞管蓄音機もある。實際に鑞管から出される音を聞くのは初めて。間近で鳴らされた音は、とてもリアルだつた。

パリ民族音樂學研究所の録音コレクション紹介

實際はお話が主だつた。コレクションの一部が以下のリンクで聽ける。

1900年パリ吹込み日本語録音の全てを聽く

1900年に巴里にて録音された音源とそれに纏はるお話を聞く。色々興味深い事も幾つか。
例へば、〈いろは〉を發音させた時、現代と區切る箇所が異なる事とか、聖書を朗讀した音源から、この時朗讀に使はれた底本が、ローマ字版ではなく、漢字假名交り文の聖書*1を朗讀したものである事を、具體的に考證してゆくのがとても面白い。

日常會話から都々逸、聲色*2まで、音源を聞いてゐるだけでも亦樂しい。一部が1900年 パリ録音の見本で聞ける。


百年前と云ふのが、未だにうまく想像出來ない。半世紀前のレコオドを日常的に聞いたり、例へば、博物館でもつと大昔の物を目にしてゐる筈なのに。百年前に日本人が居て、實際に日本語が話されてゐるのを聞いて、何故だか驚く。

考へてみれば自分が生きた年數の分だけしか、年月の長さは知り得ないのではないのか。それ以上の長さを、どうやつて知る事が出來るのか。

*1:同じ年に刊行された大日本聖書館の『新約聖書路加傳』が朗讀底本らしい。

*2:九代目の市川團十郎