生活記録

日々のこと(旧はてなの茶碗)

反駁

前者は、何故表記を目苦しく變へてコミニュケーションを阻碍するやうな書き方をするのだらう。どこまで本氣なんだか氣が知れない*1

一口に讀みづらいだの、コミニュケーション云々と言ふが、平假名(或いはローマ字)だけで日本語を書く事と、正字や正假名を用ゐて(所謂漢字假名交じり文で)日本語を書く事は、全く異なつた性質のものだ。

後者は、自分が理解出來ない(またはしたくない)と云ふことを、恰も皆が出來ないと云ふ風に言ひくるめて、意見を押し附けてるやうにみえる。或意味自己中心的ではなからうか。

そも一番コミュニケーションをとれる文字や仮名遣いとは何か。それはどのやうに決められるものなのか。

正字正假名への反撥の仕方は、決まつたパターンがあるやうに思へる。

*1:正字正假名に反撥する人は、何故だかかういふ取つて附けたやうな平假名のみの表記やら、ローマ字だけで書くやうな當附をする傾向があるみたいだ。